土で作った妊婦

小学校の近くに大きな古墳があった。
だからかどうか、よく職員室の前のガラスのショーケースに埴輪とか土偶が飾ってあった。
「なんで、妊娠してる女の人ばっかり作ったんだろう」
と子供の私は考えていたのを覚えている。太ってお腹が大きい女の人の茶色の像ばかり。

今ようやく分かった。
その昔、妊娠と出産と赤ちゃんっていうのが、人間の人生の最大の盛り上がりポイントだったんだろうっていうことが。この期間、人間は最大にクリエイティブになって工夫して生活していく必要がある。赤ちゃんが生まれる度に盛り上がっただろうなあ。
赤ちゃんを育てるというのは、それこそ今の映画と音楽とテレビ、とにかく全部のエンターテイメントを総合した楽しさがそこにあったのだろう。

今に生きる私はルンバとiphoneを酷使して何とかやってるけど、赤ちゃん連れてその時代にタイムスリップしたとしてもそれはそれで親戚や近所の人からのたくさんの助けで意外と楽しい育児が待ってるような気がする。

たたん

久しぶりにブログを開くと前に書いた下書きが出て来た。
産前産後の体があんなにも苦しいものだとは知らなかった。
これを書いたのはきっと10月くらいなんだろうなあ、、。今は階段を「たたん」と降りるのが日常になっているけれど。

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今日、仕事で必要なものを受け取りにマンハッタンのジュエリー街に行ったとき
たたん、と階段を駆け下りる自分に気づき「体が戻りつつあるんだ」と実感した。

出産前から後まであんなに体中がギシギシと古いロボットのようにきしむとは知らなかった。
とにかく床に落ちたもの、小さな道具やジュエリーの小さなパーツはお腹が大きすぎて見えないし拾えないから諦めて放置せざるを得なかった日々はもう終わり、か。

ちいさな巨人

NYの夏は素っ気なくさっさと去ってしまうけれど
8月の暑さがまだ残っている頃に小さいけれど大きな赤ちゃんが生まれました。

4600グラム、文字にすると改めて驚くけれど
私だけでなくその場にいたドクターも看護婦さんもあまりの大きさに大興奮でした。
「はいっ」と渡された赤ちゃんを見たときの最初の正直な気持ちは
(これは新生児には見えないな)というものでした。

頭もふさふさ、眉毛もしっかり濃くて、耳の外側にまでふさっと濃い産毛が生えた、まるで九州男児のような赤ちゃんは意外にも優しい泣き声で誕生したのでした。

出産前はとにかく、無事に生まれてきたらいいとそれだけしか考えられず
今自分が何かの事故で死んでしまったら赤ちゃんまで一緒になってしまうと思い
毎日とにかくゆっくりゆっくり一歩一歩を踏みしめてお店まで歩きました。
世界中でどれくらいの妊婦が「絶対無事赤ちゃんが出産できる」という自信があるのでしょう。私は正直とても100%の自信をもって「絶対」とは思えなかったのです。

妊娠していた私のお腹はとにかく異常なくらい大きくて、大げさではなく毎日毎日通行人や工事現場で働くおじさんや、警察官やとにかく色んな人から「双子か?」と聞かれ、こうなったらお腹の上に「この中↓ひとりです」と書いた紙を貼ろうかと思ったくらいです。

まるで雷のように生まれて来た君。
今はまだ話せないけれど、なんとなく、ひょうきんで陽気な性格のような気がするちいさくて大きな君。
これから働くお母さんのもとでどんな風に育って行くのだろう。
とにかく、無事生まれて来て本当によかった。

この世にようこそ。

J君のキャリアチェンジ

びっくりするくらい前から書いてなかったブログ!

人生の中では色んなことがどっと重なる時期があって、今はとりあえず「今日を生きているだけで良しとしよう」と決めたのだけどそれにしても!こんなにご無沙汰!生きてるし、新作も作ってるし、オーダーも納品してるけど!

いつもダイアモンドやその他の石を買いに行く会社はいわゆる「47丁目」にある。ジュエリーの世界では「NYの47丁目」といえば47丁目の5番街と6番街の間を中心とした「ジュエリーの卸街」を指します。

そこにいるJ君は、アメリカ人なのだけど、呼ぶ時に名前の後に君をつけたくなるようなチャーミングな人で、それでいてとても仕事ができるし性格もいいのでおそらく私以外の顧客からも人気があったと思う。

石を選ぶときにも、J君は一緒になって一所懸命いいものを一緒に選んでくれるし例えば3.2mmの石がどうしても必要なのだと言うと100個ある石の中から3.2mmの石をいくつか選んでさらにそこから一番のクオリティのものをひとつ探すのが苦にならない人だった。
だからいつも彼に頼ることで安心だった。

彼の義理の両親のことや投資のこと、家のこと、嫁のこと色々話したから彼がどれだけ「いい奴」なのかっていうことはよーく分かってた。それにどの分野の話をふってもカバーできるのだ。それだけ世界の色んな事に興味がある証拠だと思う。

J君は数日前に警察官の試験に合格したらしい。
そして最後のあいさつを会社にすることもままならないスケジュールで、あっという間に警察官にキャリアチェンジをしてしまった。私の周りに何人かFBIの試験を受けた事のある人がいるのですが、ああいうのって1年以上かけて試験と身辺調査があるのだけど、決まる時には一気に決まって「明日から研修」みたいなスケジュールなんですね。

実際に彼がもうあそこの会社にいないのが残念なのだけど、でも彼を警察犬にしたNYPDはすごく見る目があるなあと思う。彼は本当に思いやりがあっていろんな経験をしてきたから警察に勤めてもきっと愛のある仕事をすると思う。私もいつか制服姿の彼にばったり会うことがあるんだろうか。そうなったら嬉しいな。

日本でも警察官の中途採用ってあるのかな?全く違うキャリアから警察官になった方が大きな視点で仕事を見つめられていいと思うんだけど。

マンハッタンで一番好きな場所

この間「マンハッタンで一番好きなエリアはどこですか」と聞かれた。
ちなみに彼女はSOHOだそう。

私は、と言いかけて黙った。ないかも、、と一瞬思った。
ミッドタウンやダウンタウンの商業的な町はあまり好きじゃない、観光客で溢れる歩道も。アッパーイーストに去年よく行く用事があったけど、私には歩いている人やブティックが30年前のスタイルに思えた。住んでる人にはごめんなさい。でも私は自然に自己表現をしている町や人が好きだから、何かの教科書に載っていたようなスタイルを皆でせーの、でやっている町にはあまり魅力を感じない。

47丁目のダイアモンド街はもはや、職場のような感じ。正直休みの日には近寄りたくないけれど、長い間通っているうちに色んなガードマンやお店のスタッフとなじみになって、ちょっとした愛とか情は確実にある。だけど、好きなのかというとうーん。

で出て来たのが、チャイナタウン。チャイナタウン好きかも。なぜならそこには個性のある食があるから。そう、マンハッタン内での好きなエリアはチャイナタウンだな!

だけど、結構な数のアメリカ人女性はチャイナタウンが嫌いだということに薄々気づいている。彼らはその料理が嫌いっていうけど、本当のところを掘り下げると、もっと根深いものがあるような感じがする。ただそれを言うとややこしいし差別主義者だと思われるから、結局料理が脂っこいから嫌いってことにしてるんだな、ということのような気がします。

マンハッタンに限定しないのであれば、やはりブルックリンが今は一番好き。
リラックスした生活と、親切心がそこにあるような気がするから。

スタジオの窓を開けると春のにおいがするようになってきた。
一年で一番好きな季節のにおい。

少し前に友達が日本に引越していった。
そのことをぼんやり机にほおづえついて考えていたら、色んな思い出がこみ上げてきて
ぐすんぐすんなってしまった。

お客さんがやって来たけど、鼻水をぬぐいながらお話することになってしまった。
家に帰ると、もう目が腫れている。

私のスタジオ/お店の周りは本当に静かで、ブルックリン特有ののんびりした空気がある。
毎日がとてもゆっくりで、入って来るお客さんは大体笑顔で幸せそう。いつも通りの日常。

なのに、ひとつだけ違うのがもうNYに彼女がいないんだってこと。
そう思うと余計にその事実が残酷に思えて悲しくなってくる。

窓の外から鳥の鳴き声が聞こえる。この間お正月だった、そして今春になって、もう少ししたら裸足でサンダルを履いてるんだろう。そしてクリスマスのためにジュエリーを準備するときが来る。

まるで時間が私を追い越していくみたい。

うどん

最後に日本に帰国したのは、もう2年も前になる。
これだけ長く日本に帰らなかったのは初めて。

この冬が始まった頃からずっと、うどんが食べたくて仕方ない。
こちらで暖かい汁物を欲した時、手が届くところにあるものは大体決まっていて、

1. チキンスープ
2.トマトスープ
3.チャウダー系のクリームスープ

私が求めている癒し系のスープはそこにない。
アメリカで育っていれば、チキンスープで満足していたのかもしれない。
だけど私はもっとすっきりしていてだしが効いていてほっこりできるスープがほしい。
しかもそこに麺が入っていたらお腹も満足。そしたらやっぱりうどんになる。

いわゆる駅前の立ち食いうどんみたいなのでいいのに、、といつも思う。
でもNYの駅前にあるのはいつもハンバーガーとピザ。そしてファーストフードの中華料理なのだ。この冬の間中、うどんうどんと私の頭の中で、ひらがな3文字がこだましている。

あ、自分でも家で作ることはできるのですよ。冷凍うどんや乾麺を使って。
でもどうして外で食べるうどんは、特別な味がしませんか?あんな風な味に仕上がるのはやはりだしに色んなものを入れてるからなのかしら。想像してしまう。カウンターに置いてある容器からどさっと入れるネギがうどんに広がる様子。

実はNYにも一軒うどん屋さんがあるみたいなのです。
今までずっと行かなかった理由は、そこでもしがっかりしてしまったらもう他に選択肢がないため追い込まれるのではないかと、、。でも来週とうとう行ってみようと思います。
毎日、ふとしたときに「うどん」と頭に思い浮かぶ日々に決着をつけなくては。

だってもう春になってしまうんだもん。