世界はどこかで繋がっている

12月。コーヒーショップで隣のカップルの女性が「先が見えない」と泣いていて、その後なんらかのやりとりがあって、ふたりは手をつないで出て行きました。

毎日いろんな人からメールが来て、色んな人生が交錯する感じ。


私はアメリカと日本でしか暮らしたことがないので、比較対象が少ないのですがアメリカに住む人たちは、世界の中でも自分のプライベートを語ることを恐れない人たちではないでしょうか。

私に婚約指輪を注文してくれたあと、プロポーズに成功したり、失敗したりっていうのもあります。
そう言う時、私にもどうなったか報告してくれたり。だから私もハラハラしつつもうまくいくように心をこめて、婚約指輪を作っています。

何かすごくいいことがあって、それが私のジュエリーのおかげで幸運が舞い込んで来た、ありがとうっていうメールをくれる人までいます。
これはもう、そんなことないよ100%あなたの努力なのにって思うけれどでもそんな風に思ってくれる気持ちが嬉しい。


私の父が亡くなったあと、どういうきっかけだったか忘れたけどジュエリーを買ってくれたお客さんとのメールで彼女の亡くしたお父さんの話になって
「今でも実家に電話して、母の後ろでテレビの音がしたらそれが父の声だと思ってしまう自分がいる」と読んで涙したこともあった。

でも彼女は「でも、私は今となっては他の人の悲しさを分かってあげられるから、これでよかった」と書いていて、なんて偉いんだろうって思ったり。

そして今日は、自分の馬の名前をブレスレットに彫ってほしいっていうオーダーがあった。そのやり取りの中で、彼女は病院でアニマルセラピーをしていることを教えてくれて、その馬(小さなポニーです)と患者さんの様子が写った写真も送ってくれました。その馬は彼女のチームの一員であり、家族なのです。

その写真に写っている患者さんの様子が、ホスピスで最期を迎えた父にとてもよく似ていて(まるでこちらとあちらの世界が繋がっているみたい)と思うと、本当に泣けてきました。

泣いたあと、ステーキを焼いて、食べて、今これを書いています。


いつかは、父がいたホスピスの先生と看護士さんたちに手紙を書きたいと思いつつも、あまりにも気持ちが大きすぎてどこから書いたらいいのか分からなくって時が過ぎてしまった。


けど、今がそのときなのかな。という気がしている。